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2003年11月表紙に使用
撮影国 : ロシア連邦
撮影都市 : モスクワ
撮影場所 : 
クレムリン アレクサンドルフスキー庭園  永遠の炎前の衛兵交代
撮影時期 : 10月初旬頃

   サイト主の1986年の初訪問以来から何回か来ている場所です。当時は、まだソビエト連邦という共産主義国でしたが、今のロシア連邦に変わってもこの場所だけはあまり変わっていません。静かな威厳のある雰囲気で、若い兵士がキリっとして衛兵交代を行っている様子がなんとも、今のロシアとは逆行している様な気がして、なぜかホっとさせられる気もします。 共産主義の時代には、超エリートだった彼らも、今はどうなんでしょう。ここにいるという事は、今なおエリートには違いがないでしょうが、そのステイタスにも微妙な違いがあるのは間違いないでしょう。もともとは、赤の広場のレーニン廟前で行われていた衛兵交代ですが、こっちに移ってきてからは、威厳がないとか、アクリル板で覆われた中で立って楽しているとかいわれますが、毎正時に近づくと右側の方から、3人一組でやって来て、交代します。  この足を大きくあげるフォームが格好が良いと思うのはサイト主だけでしょうか...。 
    でも、彼らが世知辛くなったロシアで、今もなお、まじめにこれをやり続けているというところがサイト主は大好きです。
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2003年12月表紙に使用
撮影国 : ロシア連邦
撮影都市 : モスクワ
撮影場所 : ウクライナホテル
撮影時期 : 10月初旬頃

 昔からあるホテルなのでいろいろと物語があるようです。共産圏時代の初期には、日本の商社の事務所もあり、さまざまな逸話を取引先の商社の先輩から聞かされたものです。今となっては、こんな時代が来るとは誰が予想したか...。サイト主もこのホテルに何度か泊まりました。1ヶ月近く連泊したこともありました。お湯がでないとか、エレベーターがこないとか、レストランに入れないとか...。今となっては笑い話にもならないかも。モスクワ市内のスターリン式建築の悠々とした姿を今もなお、レーニンのモニュメントとともにモスクワ川の近くにさらしています。
   
 特にモスクワ市内でもレーニン像が残されているところは少なくなり、過去の栄光?にふれたい方の必見の場所かもしれません。

2004年1月の表紙に使用
撮影国 : ドイツ連邦
撮影都市 : ベルリン
撮影場所 : ブランデンブルク門
撮影時期 : 3月頃
  説明は必要ない程有名な、ドイツのブランデンブルク門です。東西ドイツに別れていた頃には、この門の手前に壁があり、連合軍の共有占領地となっていたわけです。要するに、英、米、仏のセクターとソ連セクターに別れており、そのソ連セクター部が東ベルリンだったという事でした。そうなのです。ドイツではなかったのです。
  今では、ドイツの首都として機能を果たしているベルリンです。


2004年2月の表紙に使用
撮影国 : ハンガリー
撮影都市 : ブダペスト
撮影場所 : ブダ王宮
撮影時期 : 12月頃

  これも、ブダペストの有名どこ。ドナウ川を挟んで、ペスト側から眺めた、雪景色のブダの王宮。中は色々な博物館となっています。
  季節感が欲しかったので、これを採用しました。他意はありません。 この王宮の近くに有る程度の観光スポットも集中しており、サイト主の好きな欧州の街の一つです。




 
撮影国 : デンマーク
撮影都市 : コペンハーゲン
撮影時期 : 2月中頃

  有名な人魚姫像です。世間では、世界三大がっかり像としても有名です(シンガポールのマーライオン、エジプトのスフィンクス)。どれも思ったより小さいということでしょうか。人形姫像に至る二枚の写真を掲載しておきます。土手のような場所の下にポツンと存在し、人が誰もいなければ気が付かないかもしれないサイズです。
  アンゼルセンの「人魚姫」がバレイ化され、感激した世界的に有名なビール会社のカールスビアの社長が市に寄付したとのこと。1913年に完成し、作者は、エドワード・エリクセン。プリマ・バレニーナ、エリン・プリーズからイメージを得、妻のエリーネをモデルにしているとのこと。そのエリーネさんという人は、岡田真澄の親戚との事です。

04年3月表紙に使用
04年4月の表紙に使用
撮影国 :ドイツ
撮影都市 : フランクフルト
撮影時期 : 3月下旬頃

  フランクフルト市内の旧市街の中心にあるレーマーベルクです(旧市庁舎前広場)。これこそドイツという感じの建物が並んでいます。真ん中にある像は、正義の女神と呼ばれています。

  フランクフルトはミュンヘンなどに比較するとどうもいまいち観光という目的で来る都市ではなく、金融の街、或いは展示会(メッセ)の街でしょう。 
  
  そういうサイト主も、トランジットや展示会ぐらいしか訪れる機会はありません。
  これど、金融都市というべき、銀行の本社ビル群です。欧州中央銀行もこのフランクフルトに本部を置いています。
 少し角度を換えたショットです。 
  この青銅の女神は天秤を持っています。これが、正義か? テミス像?
目隠しはしていないが、
日本の最高裁にも似た様なものが...。 正義の象徴。
04年5月の表紙に使用
撮影国 : 日本
撮影都市 : 山梨県
撮影時期 : 5月初旬
 
 表紙の写真としては、初の日本国内の風景です。 それも、山梨県の富士五湖の一つである本栖湖から見た富士山です。

  5000円札の裏の図柄と同じと言われる(実際には少し違うらしいが)場所から撮影しました。残念ながら真っ青な空をバックにとはいきませんでしたが。
 早朝の為に周囲に人が少ない事を良いことに、車を乗り付け、撮影しました...。

  これが実際の5000円札の図柄です。
04年6月の表紙に使用
撮影国 : 日本
撮影都市 : 富山県
撮影時期 : 5月初旬
 
 先月に続き、日本国内の風景です。 黒部ダムこと黒四ダムであります。 旧展望台から見た図です。まだ5月ということもあり、雪がちらほらと残っています。あのNHKのプロジェクトXで紹介されてから一度は行ってみたいと思ってました。実際、すごいところにあると思います。しかし、当時、こんな難工事まで行って電力を確保しなければならなかった事情というのが、ここを訪れた後も、未だに理解はできません。
   加えて、室堂の雪が見たかったのですが、残念ながら天候が悪く、見ることができませんでした。

慰霊碑です。171名の命がこの工事で失われたとの事。
「尊きみはしらに捧げる」
と刻まれています。

プロジェクトXで見たので。
ダム湖の方にカメラをずらせてみました。 この日は、天気がいまいちで、風も強く、また雨も降っていました。 観光にしては最低のタイミングだったかもしれません。
04年7月の表紙に使用
撮影国 : ラトヴィア
撮影都市 : リガ
撮影時期 : 6月半ば
  国内風景が2ヶ月続きましたが、また、海外に戻ります。それもメジャーなところではなくバルト三国のひとつ、ラトビのリガにある、大聖堂です。
  この5月からEUのメンバーとなっていますが、初めてサイト主がここを訪れたのは80年代の半ばだった様に記憶してます。まだ、ソ連の連邦国だったころです。それ以後数年、コンスタントに訪問訪問していたのですが、ソ連崩壊、独立などか続き、ここ数年は訪れる機会も有りませんでしたが、たまたま訪問する機会があり、この撮影となったわけです。旧ソ連時代から、他の都市とは全く違う雰囲気で、ギルド時代に栄えたというドイツ風な臭いがする都市でした。
は、それに拍車がかかった様なという感じでしょうか。
旧市街にある教会の塔から眺めた旧市街です。
これが新発見でした。共産圏時代は誰も案内してくれなかったアールヌーボーです。ギルド時代の裕福な頃に建てられたものが、独立後修復されたとの事。こういう建築が結構あります。今回初めて知りました...。ブルジョアの象徴のようなものを共産主義が説明するはずも無かったのでしょう当時は。
'04年08月の表紙に使用
撮影国 : ドイツ連邦
撮影都市 : ポツダム市
撮影時期 : 6月半ば
  今月は、メジャーで且つ、涼しい風景をお送りしようと考えて選択しました。ユネスコの世界文化遺産にもリストアップされている、Schloss Sanssouci(サンスーシー宮殿)の階段部分から見上げた最も有名なアングルです。  まず、ポツダムは首都のベルリンから市電でも40分程度で行けてしまいます。また、歴史的にはポツダム宣言でも有名な都市でもあります。戦後は、旧東ドイツのテリトリーでした。
  ここは、プロイセン王であるフリードリヒ大王の夏の離宮として、1745年に建てられました。典型的なロココ様式であります。離宮とはいえ大王は人生のほとんどをここで過ごし、74歳の時に、この離宮の一室のイスに座ったまま静かに亡くなったとの事です。そのイスは宮殿内に展示され見ることができます。
サンスーシー宮殿から降りる階段途中から噴水を眺めた所。
サンスーシー宮殿へ通じる階段を真正面から少し距離をおいて眺めたショット。
階段上のサンスーシー宮殿そのものです。中はガイド付きで見学可能です。(日本語なし)
'04年9月の表紙に使用
撮影国 : ドイツ連邦
撮影都市 : ポツダム市
撮影時期 : 6月半ば
  これを何の説明もなしにわかった方は相当の歴史マニアだと思います。 ずばり、ポツダム宣言の為の会議が開かれた、ツェツィーリエンホーフ(Schloss Cecilienhof)宮殿です。 第2次世界大戦の末期である、1945年7月17日〜8月2日に、米、英、ソ連の首脳らがここに集まり、ドイツの戦後処理と日本を降伏させる策が話し合われた。会談が開かれた部屋は当時のままで保存され見学することが可能です。各国代表が控え室として使用した部屋というのもありました。宮殿の一部はホテルにもなっている様です。
少し角度を替えたショット
左のショットはすべて中庭です。そこへの入り口がこの写真。
 ここの宮殿の主の情報が、左側の写真の入り口に置かれています。 ホーエンツォレルン家の最後の王子ヴィルヘルムが家族とともに住んでいたということですが、写真でわかるように、宮殿というよりは英国の田舎のお屋敷という感じがしますが
’04年10月の表紙に使用
撮影国 : ロシア連邦
撮影都市 : モスクワ市
撮影時期 : 9月
  先月は若干マニアックな場所だったゆえに、今月は非常にメジャーな場所にしました。 モスクワの中心、「赤の広場」であります。英語名Red Square、露語では、
Красная площадь(クラースナヤ プローシャチ)となります。写真の様に石畳の広場です。ここを5月には、戦車なんかが走っていた訳ですが。そういうわけか、ここに来た第一印象は、思ったより狭いという声が大半です。 また、この場所は、この写真のほぼ裏側となります。 ただ、広場だけというわけでもなく、赤の広場を中心に下の写真の建物があります。

聖ワシーリー聖堂
赤の広場で最もきれいな建造物です。
国立歴史博物館
グム(旧国営百貨店)
共産主義時代と比較にならないショッピングアーケードとなっています。ルイヴィトンをはじめとする有名ブランド店も多数。
レーニン廟
レーニンの遺体が安置され、それを公開していましたが、今はそういう事はやっていないでしょう。
'04年11月の表紙に使用
撮影国 : ドイツ連邦共和国
撮影都市 : ドレスデン
撮影時期 : 9月
  
ドレスデンのシンボルともいえる、聖母教会です。とうとう2004年6月22日に外装工事完成の式典が行われました。1945年2月13日から14日にかけて行われた連合軍の大空襲で破壊されてからほぼ60年。共産主義下の東ドイツ時代には、破壊されたままの状態で、資本主義各国を攻撃するネタにされ、その後、1989年11月にベルリンの壁が開き、東西ドイツが統合、聖母教会の再建運動が本格化、とうとう1991年から再建が開始された。そして、13年後の2004年に外装工事の完了となった訳です。東ドイツ時代にちらっと見た記憶はありますが、当時は真っ黒な壊れた塔というイメージしかなく、広島の原爆ドームとだぶった様な記憶があります。
  カメラアングルをかえると、まだ、工事中という
のがわかると思います。
(右写真)
  エルベ(川の名)のフィレンツェと言われていま
す。エルベ川を境に旧市街と新市街に分かれて
います。

  この街から北西に25km行くと磁器の町、マイ
セン。どちらかといえば、日本では、こっちの方が
有名かもしれません。

1945年
1743年
1991年
'04年12月の表紙に使用
撮影国 : スペイン
撮影都市 : バルセロナ
撮影時期 : 12月

  いつも寒い高緯度の国ばかりに行っているので、12月の日暮れの感覚が日本に似ており、且つ、そこそこ暖かい。恵まれているなぁというのが第一印象です。 
  さて、写真は、言わずと知れたサグラダ・ファミリア聖堂です。1882年にフランシスコ・デル・ビリャルが着工、1883年にガウディに引き継がれたとの事。その後、100年以上、完成せずに工事中であります。おそらくバルセロナを訪れた人たちのほとんどがここに来るのではないかと思えるのですが。12月の観光シーズンをは言えない時期で、午前中でしたが、結構込み合っておりました。はいシーズンの夏場なんかすごいでしょうねぇ。

 大きな写真が正面。そこから右回りに聖堂を回ってみました。その写真が、4つの小さなサイズの写真です。右端が、裏側となります。 もちろん塔に昇る事は可能です。例えば、90mの塔があり、2ユーロで65mまでエレベーターで上がれます。階段のみの場合には、426段となります。 他方、75mの塔。エレベーターの場合には、55mまでエレベーター可。階段のみの場合には、340段。結構いい運動となりますが、夏場は大変かと。
2005年1月表紙
撮影国 : 日本
撮影都市 : 東京都
撮影時期 : 1月

  たまたま初日の出クルージングの機会を得てそれに参加。前日は、首都高速、東名高速の沼津-東京区間が雪で通行止めになるような天気。あまり期待はしていなかったが、なんとか雲の隙間から初日の出を拝む事ができました。今まで初日の出なんか見に行った事はあったかなぁ?とも思いましたが...。場所は東京湾内の羽田空港沖。我々以外にも結構な数の船が。
ただ、東の空以外は快晴。羽田空港や雲の冠の富士山もきれいに見えました。また、6:15を過ぎる頃から旅客機のテイクオフが始まり、船の上を旋回してどこかに飛んでいくのを間近に見え圧巻でした。
  
日の出の時間6:50頃の状況です。この5分後くらいに上の様な状況に。
 富士山をバックに羽田空港からテイクオフする旅客機です。 この後に右に大きく旋回し、まるで船上を通過するような感覚でどこかへ飛んで行きます。
2005年2月表紙
撮影国 : 日本
撮影都市 : 和歌山県 白浜町
撮影時期 : 1月

  シーズンオフの冬場に何年か振りかで訪れた白良浜。とにかく、その白い砂が忘れられずに表紙にする事にしました。 本当に真っ白。実際には、オーストラリア産の白砂を毎年入れているらしいですけど。 それに、イモを洗うように混雑する夏場でない冬場。余計に白さが際だちます。
  また、FM76.4MHzでは白浜ビーチステーションなる地元のFM放送を聞く事でき、その道路情報は子細に渡りすぎて、余程地元の交差点名や路線名を知らないとついていけません。しかし、情報としては一級品であることは間違いありません。
  
逆の方向から白良浜を望む
白良浜内に足湯、露天風呂があります。
夏場に白良浜にオープンする地元のFM放送局。
冬場もそれなりのイベントを行ってます。ルミナリエです。
2005年3月表紙
撮影国 : ポーランド
撮影都市 : ワルシャワ
撮影時期 : 2月
  寒い寒い冬のワルシャワ/ポーランドです。 そのワルシャワ市内の旧市街広場にシレナ(人魚の意)像があります。 ただ、かわいいだけの人魚ではなく、剣と盾を持っていますが、立派なワルシャワ市の紋章となっています。 美しい象徴の人魚に、剣と盾を持たせてしまうワルシャワ。大戦時に地図からポーランドの名前が消滅した経験を持つお国柄だからでしょうか? 
  シレナ像はこの場所だけではなく、他の場所にもあります。また、ここにあるのも以前は、近くの城壁のところにありました。 そちらの方が、ヴィスワ川がバックに写真がとれて趣があったのですが。 今は、台座だけが残っています。
  人魚伝説としては、昔、ワルスとサワというヴィスワ川の夫婦の漁師がおり、たまたま人魚を捕まえたが、かわいそうで川に逃がしてやった。それから、魚が捕れるようになり、人が集まり、その集落が賑わうようになった。そして、ワルスとサワの名前が合体したのが、ワルシャワとの事。今のワルシャワがあるのは、すべてシレナ(人魚)のおかげだということなのです。 しかし、中心街に行けば、高層ビルの建設ラッシュ。
  通貨は、ポーランド・ズロチが残ってますが、もう、EUのメンバーなんですよね。過去の偏見はいけません。
 左は、ノーベル賞を2度受賞した、キューリー夫人の生家だったところです。今は、博物館となっています。そして、その娘夫婦もノーベル賞受賞してます。

 右は、地動説を唱えたコペルニクスの像です。
 旧市街の象徴である、王宮広場です。右の建物が旧王宮。 
クラコウからワルシャワに首都を移したジクムント3世の像が、左の円柱上にあります。
2005年4月
撮影国 : 日本
撮影地 : 奈良県
撮影時期 : 3月末
  一目瞭然。奈良の東大寺 大仏です。 サイト主的には、何十年のレベルでの再訪です。まず、びっくりしたのは、例の鼻の穴(40cm径)等大の柱の穴が小さく見える事。今見れば、とても通り抜けできる様なサイズではありませんが、通り抜けられた時期もあったと思います。また、一応、像高14.98m(座高)、開いた手の指先から掌までの長さ2.56m、頭の上からアゴまでの長さ6.7mとの事。
  歴史的には、西暦752年に完成。建立した理由は、社会不安を仏法の力で解消(鎮護国家思想)するために国分寺を各地に創建に相まって、大仏を作ることになったとの事。毘盧遮那(ビルシャナ)大仏といい、その意味は、サンスクリット語のヴァイローチャナの音訳。意味は、太陽・光明であり、華厳経の教主。
  
  もちろん1998年に世界遺産登録(World Heritage)されており、トイレは非常にきれいで総工費1億2千万円とも。確認する時間はありませんでしたがトイレットぺーパーは東大寺名入りとの情報。
  おっさんとなってからの訪問もなかなかおもしろいものです。
写真の説明 上左から
世界遺産であることを伝える石碑、 柱にある大仏さんの鼻の穴等大の穴、正面からみた大仏様、そして、豪華トイレ。
下左から大仏殿正面、仁王像。

 
 時期的に入学シーズンですが、ここの東大寺学園(幼、中、高)。進学校としては全国的に有名で、且つ、中・高の軟式野球部も強豪です。文部両道かも。 
05年5月の表紙
撮影地 : 大阪府
 先月の奈良の大仏に引き続き、「今月もベタな写真やなぁ」というお怒りの声が聞こえる様で非常に恐縮です。 でも、いがいに行った事がありませんし、写真を撮ったのもあまり記憶がありません。 あえて、今月はグリコで勝負しました。 タイガースやアディダスのユニフォームも着ていないごく普通のグリコですが、これが基本と言うモノです。 でも、この戎橋のかかる道頓堀川水辺整備事業の一環で、遊歩道ができていたりと、結構きれいになりつつあります。 また、例のディスカウントショップの大きな観覧車も見えますし。
 付属の写真としては、大阪城天守閣と「くいだおれ」の人形です。  実は、先月の写真も含めて、外国からのお客さんを案内した時に撮ったものです。 こういう機会でもなければ、2泊もなんばに宿泊して大阪、奈良を観光して回るチャンスはないでしょう。でも、やってみると結構おもしろいものです。
← 南海電鉄がなんば-関西空港間を結んでいるラピートです。 なんばが始発であるこの列車に乗る機会がそれほどあるはずもなく、おそらく生涯最初で最後の経験ではないかと。 しかし、恐ろしく鉄人28号的なルックスですが、中は通常の列車とかわりません。しかし、スーパーシートは別世界の様ですが...。
05年06月の表紙
 撮影国 : ロシア連邦
 撮影場所 : モスクワ近郊
 撮影時期 : 6月初旬
 日の入り直後の西の空です。モスクワ中心まで70km程度西に離れた小さな村で撮影しました。 たまたま自動車で移動中だったので。 ただの日暮れなのですが、サイト主が伝えたいのは、現地時間の午後10:15にこの写真を撮ったという事です。 残念ながらモスクワには、「白夜」はありませんが、午後9:00までは西日が当たって暑い様な状況です。 あと数週間で夏至を迎えるタイミングだったので、これからますます日は長くなって来ます。 長ーい、長ーい昼。 但し、この後、数ヶ月もすれば逆に長ーい、長ーい夜が待っています。
 でも腑に落ちないのは、この時期現地時間は、サマータイムを採用しているので午後10:15ですが、通常なら午後9:15なのです。それでも日は長いのは認めますが、通常の時間の方が自然な感じがしませんか? --- そうです、サイト主は、昨今言われている日本でのサマータイム導入には反対です。 特に日本の様なきっちりと四季がある低緯度地域でサマータイムなんて...と思ってます。
撮影国   : チェコ
撮影場所 : プラハ
撮影時期 : 6月初旬 
  プラハの旧市街広場にある天文時計です。 天動説に基づく機械式時計として、1410年に組み込まれたとの事。 プラハは「百塔の街」とも呼ばれ、高い塔を持つ建物が市内に散在しています。その中で最も高い塔を持つ建物(旧市庁舎)にこの時計は存在します。 また、この広場がある旧市街は世界遺産にも登録済みとの事。
  さて、この機械式時計ですが、毎正時に仕掛けが動く事になっており、多くの観光客が、その時刻になるとそれを見ようと集まってくるのですが...。正時になるとこの時計の横に配された死神?ドクロが鐘を鳴らします。すると、四角い窓が開きキリストの12使徒がゆっくり動くのが見えるのですが、すぐに窓は閉じてしまいます。 その閉じるのがあまりにも早い為に、集まった観光客の「?」という気持ちが伝わってきます。そして、「終わり?」という見事に期待を裏切られたため息が聞こえてきます。この時計を見るよりも集まった人の顔をみている方がおもしろいかもしれません。
 ちなみにこの時計は長い間動かないでいたらしいのですが、1948年に電気的な手を加えてからだとの事。

 でも、このプラハの旧市街には、まだ、古き良き時代の欧州が残っているような気がします。オリジナルの欧州の街を感じるには悪くありません。

05年7月の表紙に使用
左から、旧市街広場で左の建物が天文時計のある塔です。 鐘を鳴らす死神は真ん中の写真。右端の写真は、12使徒が現れる2つの窓。
05年08月の表紙に使用
撮影国   : チェコ
撮影場所 : プラハ
撮影時期 : 6月初旬 
  今月もチャコのプラハを紹します。プラハを紹介する上ではずせない場所でもあります。 プラハの中央部を流れるヴァルタヴァ川に架かる石の橋、カレル橋です。14世紀から15世紀にかけての建造物と言われています。

この橋の両側に15体づつの聖人や英雄の合計30体の像が並んでおり、一番最初に建てられたという聖ヤン・ネポムツキー像(ボヘミアの守護聖人)の台座に掘られているネポムツキーに触れると幸運に恵まれるという言い伝えがあり、そこだけみんなに触られてつるつるに光っています。写真は、その聖ヤン・ネポムツキー像です。 台座が光っているのがわかってもらえると思いますが...。旧市街側から8番目の右側だったと思います。 特に人が集まっているので、すぐにわかると思いますが。
 ここは、歩行者専用道路なので、シーズンともなると、旧市街からプラハ城への途中という事もあり、橋の上は観光客で一杯。 そして、大道芸人や露天商や絵描きなどで一日中賑わっています。 ここにはフランシスコ・ザビエル像もあり、日本人には一番人気とか...。(旧市街側から左手5番目)
  下の写真左から、カレル橋遠景、カレル橋旧市街側塔
幸運の台座、観光客だらけ、フランシスコ・ザビエル像。
05年9月の表紙に使用
撮影国 : チェコ
撮影場所 : プラハ
撮影時期 : 6月初旬
 先月紹介したカレル橋を渡り、頭上はるかに見えるプラハ城を目標に階段や坂道を上がっていくとたどりつくことができます。結構、夏はいい運動になるのでは。
 さて、写真は、プラハ城で行われる衛兵交代です。季節は初夏ということもあり、夏服での衛兵交代です。 このシリーズでの衛兵交代紹介は2度目となります。 ここの衛兵交代は、見物者とすごく近い距離で行われるのでモスクワのそれほどの緊張感はありません。でも、やはり、兵隊さんです。押さえるところは押さえており、気持ちよくビシッと決めてもらえます。 ここから中にすすむと聖ヴィート大聖堂や黄金小路などの見所もあります。
 
 今月でチェコは終わりにして、来月は、違う国にしましょう。
05年10月の表紙に使用
撮影国 : ハンガリー
撮影都市 : ブダペスト
撮影時期 : 9月中旬
 
 今月はハンガリーにしました。
 ブダペストの顔ともいえるチェーンブリッジ。夜のライトアップされたチェーンブリッジもきれいですが、サイト主の都合で昼間の撮影となりました。ドナウ川でブダペストは2分されており、写真手前をブダ、写真奥をペストと呼びます。ブダは、山の手、ペストは下町という風なイメージです。
 すでにEUのメンバーとなってしまいましたが、共産主義の時代でも、他の東欧諸国とは違う色を持ち、また、町自体のケアが十分でもないにもかかわらず、もともときれいな建造物が多く、サイト主の好きな国の一つです。当時、東欧で唯一日本食レストランがあり、他の国からここに移動し、すき焼きが食べられるのだけを楽しみにシゴトしてました。また、この橋の近くに当時のForumホテル(現インターコンチネンタル)のレストランには、隠れメニューで「トンカツ」を作ってくれるというホスピタリティもありがたかったです。ヴィエナーシュニッツェルをカットして細切りキャベツを添え、ややサワー系のソースをつけるというモノでしたけど。
それでも毎日喜んで食べてました。
小さな写真は、角度を変えてチェーンブリッジをみたものです。

埃ぽっくて...という方もいらしゃいますが、それ以外は結構悪くありません。
05年11月の表紙
撮影国 : ドイツ
撮影都市 : デュッセルドルフ
撮影時期 : 10月下旬
 今月はドイツのデュッセルドルフです。あまり、一般的にメジャーな都市ではありませんが、デュッセルドルフ日本商工会議所の会員が300社以上にも及び、この都市の人口57万人のうちの約5,000人(周辺都市も加えると6,000人以上)の日本人居住者がいるという日本人村ともいえる都市です。
 写真は、そのまま訳せば、王様通りとなるケーニッヒスアレーにある、トリトーネの噴水です。そして、この噴水の近くには、なんとブルガリの時計(写真左端)。そういう時計があるからか、このケーニッヒスアレー周辺には、俗に言うブランド品ショップが集中しています。そして、旧市街と呼ばれるところにいけば、古い石畳や小道、切妻の民家が歴史を感じさせられ、同時に繁華街でもある。約1Km四方のこの一帯は”ドイツで一番長いカウンター”と呼ばれ、200軒ものレストラン・居酒屋・ディスコなどがならんでいる。写真は、旧市街のマルクト広場とライン川河畔。


05年12月の表紙
撮影国   : ドイツ
撮影都市  : ミュンヘン
 だいぶん迷ったのですが、やはり季節感があるクリスマスツリーにしました。やはり、12月はこれでないといけませんね。 さて、被写体は、ミュンヘンの新市庁舎(Neues Rathaus)です。19世紀末から20世紀初頭にかけて建造されたネオ・ゴシックの建物です。高さ85mのところに仕掛け時計があり、これが動く時間になると人だかりができます。そして、クリスマスには、この新市庁舎前のマリエン広場や、その周囲の通りにクリスマスマーケットが誕生します。出展している店で最も多いのは、クリスマスの飾りを売る店。光り物や木で作った工芸品の様なモノなど色々あります。観光客の最も多い場所でもあるので割とそういうモノが多い
様です。 あとは食べ物屋さん。ソーセージ、ポテトはもちろん、ホットワイ
ンを飲ませる店やリンゴ飴ならぬ果物チョコ屋(果物にチョコレートのコー
ティング)、焼栗(天津栗より甘くない)や果物、柿を売っているのですが、
Persimon-KAKIと看板に書かれてます。まさにその柿なのですが...。調べ
ておきます。

右スミの小さい写真は、アングルは違いますが、昼間の新市庁舎です。
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