プロローグ 

  一応幼少の頃から野球をたしなみ、小学校高学年からは硬式をにぎり投手として全国大会に。そのまま中学、高校と野球を続け、あのあこがれの甲子園へ、あと3歩程度までは行った様な...。大学でもちょこちょこと柔らか目のボールで野球を続け、リーグ戦優勝数回。 たまには、地元の社会人野球に助っ人として参加(近くの商店街がオーナーであり、飲み食いは無料という特典あり)。一時は、都内23区内の某区の一部リーグでもプレーした経験を持つ。 その後、本当の社会人となり、草野球レベルで野球を続け、某自動車会社や運送会社が運営する野球大会の本戦へも出場経験有り。 但し、このころから仕事柄日本にいないことが多くなり、組織だっての活動は下がり始める...。
  但し、海外ロード中に、なぜか取引先の商社名で、某国の日本人会主催のソフトバールに参加。数度の優勝経験有り。優勝商品は、マグロの冷凍肉。 当時はこの国でマグロを食せるなんていうのは、夢のまた夢。優勝後のすしパーティーのおいしかった事。 また、日本人会所属のチームゆえに各商社とも、まれに、あの元スター選手がいたりと、それはバラエティに富んだリーグ戦だった。 

  そういうわけで、数年。完全に現役を離れた様な生活を続け、気が付けば、長男が小学校に行くようになる。PTAの会合か何かに、ふとした事から、輝かしい経歴?がもれ、ソフトボールしませんかと声をかけられたわけです。 もちろんレクリエーション的なソフトボールと勝手に思い、二つ返事でOK。 早速、その週末に指定された時間にグランドに行くと...。 
  
  そこで見たのは、いわゆる本物のソフトボールだったわけです。その時は練習試合でしたが、相手チームは女性。でも、投げるボールは、上がる(ライズ)、曲がる、沈む、それに加えて早いし、遅い...。 三振はしなかったものの凡打の嵐。 それから、この世界におぼれる事になりました。 でも、期間限定ですが...。

  そして、この年度に新しく入ったメンバーは3名。 某庁でのエースを努める本物の投手。若干25才で1年生のお父さんとなった硬式野球経験者。 そして、年齢はいっているものの気持ちは未だに現役で、強打のサイト主だったのです。 特に、本物のピッチャーが入った事で、我がO小は、一気に中央大会を目標に再結成されました。 既存のメンバーにも、リトルリーグでの輝かしい優勝経験者や少年野球の指導者などに加え、サッカー経験者など多彩なメンバーでした。 仕事の都合や家庭の都合でやむなくチームを去る人も結構おり、毎年、同程度のチーム力を保持するのはなかなか難しいと思います...。

大会のシステムは、
  まず、出場資格としては、子供が小学校に通っているか、そこの教職員でないといけません。これが、まず第一です。 そして、市全体を10程度の地域に分割し、8月中旬頃に各8ー12校程度のトーナメントを地区毎に行う。そこの優勝チームが中央大会へ。10月半ばに開催される中央大会のレベルになると、野手はほとんどが、野球経験者。投手に至っては、ソフトボールの日本リーグ経験者が上位に食い込んでいる様子。よって、若い選手が集まる新興住宅地にある小学校が優位。 また、小学校のチームの中には、年間を通じてソフトボールを続けているクラブチームとして、活動するチームがほとんど。 我が小学校のように、寄せ集めの期間限定チーム編成というのは珍しい存在。こういうような状態なので、非常にレベルが高いのです。本来は、各小学校間のPTAの親睦が目的だったと思いますが...。

  既に数年の経験がありますが、試合時に、あれ? あいつうまいなぁ、そういえば、高校時代に試合したことがあるなぁとか、あいつは、某私立の有名校へいってた奴だとかに再会しました。 要するに同年代が活躍しているわけです。シニアの甲子園化してるわけです。 特に、サイト主が中・高の時代は、選択肢が野球しかなかったからか、盛んでまた、いい選手が結構いましたので
ソフトボール/野球
戦 績
2006年 準決勝 対 SN小 0-7 1・2回のチャンスに得点できず、先取点を奪われ、そして、後半、だらだらと加点を許し、気がつけば6回コールドゲームで完敗。
初戦 対 MK小 9-2 立ち上がりは先方の強打に苦しまされたが、後半一挙に加点し、5回コールド。
2005年
再試合
1回戦 対 WF小 3-4 苦敗...。先取されたものの相手チームのエース温存策に発憤。あと一歩まで追いついたものの...。
2005年 1回戦 対 WF小 0-4 3回終了後に雨が強くなり、結局ノーゲーム、再試合となる。
2004年 1回戦 対 WF小 0-6 完敗です。 立ち上がりは良かったのですが、少しづつ加点され結果的には完敗です。 
2003年 決勝戦 対 HS小 3-8 3試合目であり、もう身体が言うことを聞いてくれない。でも、納得の準優勝。
2回戦 対 WF小 5-5 同点引き分け。 よって抽選勝ち。 先制はしたが後半追いつかれる。
1回戦 対 MY小 8-7 前半は大差だったが、後半、やはり、バント攻めに合い、一点差の辛勝。
2002年 2回戦 対 SN小 3-10 バントで内野守備の隙をつかれた。クラブチームは細かい攻めができる。
1回戦 対 ST小 10-1 大差でコールド勝ち。
2001年 1回戦 対 WF小 0-2  初戦で惜敗。 不完全燃焼。
クラブチーム誕生
 2005年の結果があまりに悔しかったのか、年間を通じて活動しようという意見がチーム解散時に続出。 なにぶん小学校のPTAを主体とするチームゆえにPTA会長やその他幹部との意見の調整や小学校自体との交渉必要。全校生徒に対してクラブチーム発足の為の新人部員募集も行い、そうして、そのチーム解散後の3ヶ月後の'05年11月20日に初練習を兼ねた第一回ミーティングを行う事になりました。しかし、シーズンオフとなるので、実際の対戦試合などの活動は'06年の春からとなると思います。 

 写真は、今までのユニフォームです。小学校名の頭文字である「O」の花文字を使ったシンプルなユニフォーム。 基本的には、愚息の野球チームと同じデザインです。 今後、このユニフォームに一部手を加える事にはなってますが...。 濃紺というカラーといいシンプルなアマチュアスポーツぽいデザイン。結構気に入っています。

 サイト主的には非常にありがたく思っています。日々のトレーニングにも目的意識を持って取り組めます。ジョギングをするにも筋トレをするにも、1年を通じて行える為、気の抜く間がなく身体作りができると思いますので。 というわけで、急遽、冬場の練習用アパレルを準備しました。
2006年の試合経緯
 クラブチームとして再結成し、新メンバーを募り、大きく若返った我らがチーム。それに、女性とはいえ、ウィンドミルで多彩な変化球とライズボールを操る新メンバーが加入したことで、投手が2枚となり優勝候補として、大会に挑んだのだが...そこには、「魔物」が潜んでいた...。
初戦
M |000 02 |2     3番・セカンド
O |120 33x |9 ( 5回コールド) 4打席3打数2安打

準決勝
O |000 000 |0           3番・センター
S |010 222x|7 (6回コールド)  3打席2打数0安打

 ノーマークの相手に完敗でした。寄せ集めとはいえ、ウィンドミル投手を2枚も持ち、20代から30代中心の高校野球経験者を集めたドリームチーム。優勝候補の筆頭にあげられていたのに...。 そして、その「魔物」とは...。このブロックの決勝リーグには、8チームが参加します。そして、その8チームの内、我がチームの含めた2チームだけが常時活動しておらず、その年の戦力に関して無知な状態です。このSというチーム。数年前までは非常に強力なチームでしたが、ここ数年低迷していました。ところが、それではいかんと週2回の練習をこなし、また、初戦は、エースを温存し、照準を我がチームに絞っていた様です。その試合を見た我がチームは、「楽勝」の二文字が頭に...。まぁ、こういう経験を含めて今後、クラブとして常時活動して行こうという事になっているので焦らずに「勝」ことに慣れて行くことにします。でも、逆に、我々でも行けるという手応えだけは感じた試合でした。
 
2004年の試合経緯
  炎天下で3試合という極悪条件を勝ち抜くには頭数を揃えるのが大切だいうことで、今年は、PTA関連の行事でスカウトに励み、6名ほどの補強が行われました。しかし、抽選の日、最も避けたかったあの因縁のW小とのゲームとなりました。噂では、対策に万全を期しているとの事。 さぁ、うちはいつものスタンスでベストを尽くすだけです。 8月22日がその決戦の日であります。 練習試合で、4番バッターを努めていますが、今年の調子はもう一つです...。
  結果は、完敗です。 安打数ではそれほど違わないものの、初回に点を取れずに、相手の投手を調子づかせてしまった様です。試合が競ってくるほど、クラブチームとして活躍し、試合経験が豊富な、W小が有利になりました。短くバットを持ってたたきつける打法やバント守備の連携など。逆に勉強させてもらいました。また、来年がんばります。個人的には、全くの不発で終わりました。何が足らなかったのか、よく反省します。
2005年の試合経緯
  8月21日。 雨の降る中の決戦となり、3回裏終了後に中断、そして、ノーゲーム再試合となる。
  4番、セカンドで先発。 2打数0安打。 両打席とも得点圏内に走者を出して回ってきたが、カーブで三振とレフトフライと散々。明らかに練習不足でした。反省。
  再試合日程は、次の日曜日。参加は難しい状態で、これが今年の最後となるかも。 結局、再試合の結果は3-4の苦杯となりました。 4点先取され、点差をみて、対戦相手がエースを温存。2番手から一気に3点を取り、急遽エースを再登板という顛末だった様です。反省会を兼ねた宴会でクラブチーム化の話がでました。 もちろん参加するつもりですが、どうでしょう?
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