Latinska cuprija...
Latinski Bridge...
1914年6月28日。この橋の近くでオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が銃殺されました。その銃声が第一次世界大戦のきっかけとなったと言われています。
特に今年がその100周年に当たるという事もあり、是非再訪したいと思っていました。いつも素通りするだけのサラエボだったのですが、その念願が叶ったわけでもあります。
橋自体はこんな感じです。そんなに大きくもなく、現在は歩行者専用。また、この橋の近くにはサラエヴォ博物館もあり、この事件の事などが展示されています。また、フェルディナント皇太子と銃撃犯であるプリンツィプの絵が描かれた看板が飾られ、20世紀が始まったコーナーとも書かれています。
博物館前には銃撃された時に使っていた自動車のレプリカが置かれています。本物はどうもウィーンにある様です。そして、博物館には、もちろん、事件関連の展示もあります。
足型は、もともと外にあったと思うのですが、なんと博物館内に移設されていました。
さて、ここまでは普通の報告です。一応は何度も来ている国でもあり、複数日滞在出来た事もあってもう一つディープなところを紹介しておきます。
今年6月に一つの銅像がサラエボ市内のセルビア人移住区の中に出来たという事をニュースで知りました。この事件の犯人であるプリンツィプのものです。ボスニアをオーストリアからの征服から守ろうとしたヒーロー、或いは単なるテロリストと評価の分かれる人物です。それを見たくて、この博物館界隈でどこにあるか聞いてみたものの...知らぬ存ぜぬの返事ばかり。タクシードライバーに聞いても同じ。結局自分で調べていったのですが、逆にセルビア人移住区では、クルマで先導してくれる程丁寧に教えてくれました。これがこの国なんですね、まさに。しかし、逆にこれでよく国として成り立っていると思います。
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2014年7月17日 07時00分
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海外・国内ロード /
Bosnia i Hercegovina (BIH) |
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いつも泊まっているウィーンのホテルから、歩いて行けない距離でもないので、もちろん行くつもりでいます。ただ、閉館時間に間に合うかどうかなんですね...。